世界のナベアツ(ジャリズム渡辺あつむ)について


世界のナベアツことジャリズム渡辺さんは二つの顔を持つ芸人さんであると言えはしないか。

 1.【芸人】:ジャリズム渡辺あつむ (ピンでは「世界のナベアツ」として活動)
 2.【構成作家】:渡辺鐘

「芸人」と「構成作家」という二つの顔を持っている。これはご存知の方も多いと思う。
だが、それはあくまでも、職業・肩書きとしての二つの顔であり、
私の言いたいところはそこではない。
「芸人として二つの顔を持つ」という事である。渡辺さんのそれぞれの顔を漢字で表すならば、
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 1.静
 2.狂
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と言えそうである。


芸人さんには「スイッチ」というものが存在する。
舞台でどれほどバカをやっていても、
プライベートでは物静かだという芸人さんはとても多いらしい。
ナベアツさんもそういったタイプの芸人さんである。
いわゆるスイッチがOFFの状態のとき、とても寡黙で、完全な「静」である。
しかし、芸人としてスイッチがONに入ったとき、まさに「狂」となるのである。
劇場の二階席から飛び降りる(結局、骨折した)。
発狂しながら着ているTシャツをビリビリにする。舞台セットに飛び乗る。
それに、コント中での奇怪な動き、気が狂ったような奇声、
暴れながらセットを壊す、などなど。
私が知る芸人さんの中でもスイッチのON/OFFの落差の激しさは1,2位を争う。
(しかし、世界のナベアツの芸は昔に比べると大人しい方である)


笑いの世界では、「憑依」という言葉がたびたび使われる。
コントの役柄になりきり、さも、乗り移っているかのごとくキャラに入りきっている様を言う。
私が思う憑依芸人は、志村けんさん、とんねるずノリさん、内村光良さん、劇団ひとりさん そして、世界のナベアツ(渡辺あつむ)である。
コントの最中、「素」の部分がほとんど見えないのだ。
ただ、この例に挙げた(渡辺さん以外の)芸人さん達は、
いわゆる、演者として「演じる・なりきる」様が長けているという事。
しかし、渡辺さんの場合は「演じる」というのとは少し違うように思える。
演じる職人ではなく、憑依するということで
自分の作り出すおもしろい世界観を表現しているにすぎない

渡辺さん以外の憑依芸人さんは「おもしろい人物・キャラ」を演じているのである。
しかし、渡辺さんはそれプラス「おもしろい発想」、そこを表現しているのである。
他の憑依芸人さんとは少し入り口もちょっと違うのだ。
(劇団ひとりさんにも少し同じことが言えそうであるが)。


正直、このような憑依芸人さん達は、どちらかと言うと、
素の部分がおもしろがられている事はほとんどない

フリートーク時などは、まさに素であり、コント時程のパワーは発揮されずに、
完全にスイッチがOFFになっているのでは?とさえ思わせる。
そして、これは、渡辺さんに関しても同様であり、
ラジオなどでは渡辺鐘を100%発揮できていなかった。
フリートークに関しては、実際に経験した出来事のおもしろさで笑わすというよりも、
自分が経験したエピソードに対して、
もっとこうなっていれば…、あれはまるで○○だ、といったように、
発想を付け加えて笑いにすることが多かった。
そういう意味ではやはり、コントにおいてもトークにおいても、
「発想」で勝負する芸人だと言えそうである。
その発想力がジャリズムの人気を作り、構成作家としての成功をも作ったと言える。
そして、その発想を表現する手段として「憑依」が一番良い手段であったということ。
キャラに憑依されていたのではなく、自分の発想に憑依されていたということである。


こういった書き方をすると、フリートークが弱いと思わせてしまうかもしれないが、
フリートークでは、どうしても素でしゃべらなくてはいけないので、
どうもスイッチがOFF寄りになっているのは否めない。
また、意味ありげに「間」を間延びさせた話し方をするため、
聞き手としては無意識に変な期待感を持って聞いてしまう
で、結局オチらしいオチがないので、その落差が目立ってしまう
また、素でしゃべる場合は、ボケて笑わせるというよりも
ギャグをして笑わせているといった感じである。
フリートークや漫才など、素の状態でしゃべらなければならない時は
肝心な部分(振りやオチの部分)で噛む事が多い
しかし、コントでキャラに扮している時は、不思議とそういうことがない
そういう部分でも、やはり憑依芸人と呼ぶにふさわしいのである。


冒頭で語った「狂」。コントで憑依しているときがまさにそうである。
完全に、「笑い狂っている」のである。
ジャリズムのネタはクオリティーの高さはもちろん、
渡辺さん演じる様々なキャラクターの評価も高かった。
とても芸達者であり、声質も良く、動きのキレも良いため、
それらが、さらにキャラのバリエーションや表現を豊かにしていた。
ネタの内容がおもしろいので、全く言われたことのない言葉であるが、
渡辺さんのキャラは「出オチ」とも言える。
登場した瞬間に、その姿を見て会場が爆笑になるのだからすごい。
私は、渡辺さんの顔がうらやましい!と思うことがある。顔ですごく得しているからだ。
大きめのグラサンをかける。それだけでものすごい笑える顔・キャラになるからだ。
(今はヒゲを伸ばし、それだけで「喫茶店のマスター」や「偽千円札」といったキャラまで手に入った。)
ただ、世間から「出オチ」と言われなかったのは、
ネタの内容・展開もおもしろく、観客全員そちらに目が行ってしまうからだ。
見た目のキャラのおもしろさよりも、ネタの内容が上回っていたからだ。


普段のニコニコ顔からは、ほがらかな印象が強いかもしれないが、
実際は残虐的ブラックな笑いが多い。コントのボケや、大喜利などの回答などでは、
「手術、手首を切る、自殺、入院中のおばあちゃん、目つぶし、脳死、刑務所、人肉、オナニー、レイプ」などの言葉が平気で出てくる。
やはり、芸人渡辺あつむは狂っている。そういう意味でもやはり「狂」なのである。
とてもブラックであり、とてもキ○ガイである。
これらのブラックな言葉とおもしろい事というのは紙一重だったりするのだろうが、
もちろん、才能がなければ、これらの言葉を使って笑いを取ろうとすると失敗する。
客をドン引きさせるだけである。不謹慎極まりない。
しかし、これらの言葉を笑いに変えてしまうセンスはさすがである。


2007年秋頃から、「世界のナベアツ」として活動し始める。
そして、「3の倍数と3の数字が付くときだけアホになります」のネタで注目を集める。
世界のナベアツとして繰り広げるネタは、
大阪時代にブレイクしていた頃のおもしろさ・バカバカしさを思い出させる。
(NSCの頃から、アホ顔や奇声を発するようなことばかり好んでやっていたらしい。)
ジャリズムファンがずっとずっと待っていた笑いではないだろうか。
独自のセンスがストレートに表現されていると思う。
さらに、世界のナベアツとして露出が多くなったことにより、
舞台上での芸人としての勘も取り戻しつつあるように見える。
コンビ再結成直後には見られなかった、大阪時代のジャリズムの面影が見えてきた。
R-1ぐらんぷり2007では決勝進出したものの、3位という結果に。
しかしこれを機に、世界のナベアツは大ブレイクしてしまう。
しかし、これには1つ大きな問題があった。


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ブレイクするに伴い、「一発屋」と呼ばれることが多くなったということ。
私は、ナベアツさんを天才コント師であり、天才ネタ職人だと思っている。
しかし、各メディアは、世界のナベアツをオファーした場合、
各番組で「3の倍数ネタ」ばかりをやらせる。
そして現在は、その露出もハンパなく、各局から一気に引っ張りだことある。
当然、1つのネタなど、やればやるほど廃れ飽きられるのは当然である。
しかし、世界のナベアツとして求められているものを解っているがゆえに、やらざるを得ない。
単純な視聴者からすれば、案の定、
「いつも同じことやってるよね」「あのネタしかないの?」「最初はおもしろかったけど、今は笑えない」と言われる。
…当たり前やん!!!!!
同じネタを何十回と見て、ずっと同じテンションで笑えるわけがない
一発屋としては、ダンディ坂野やテツandトモ、桜塚やっくんなどがよく挙がるが、
この人たちは、ブレイクしていた当時もネタが全然おもしろくなかった。
ゆえに、一発屋としての道を歩むのは当然であった。
しかし、たくさんの視聴者は、世界のナベアツも、
これらの一発屋たちと同じレベルで見えているようである。
私は、それが不思議で仕方がない…。


私などは、大阪時代の絶頂期のジャリズムを知っており、
当然、様々なコント、漫才、大喜利、ギャグなどを見てきた。だから、
ナベアツが、(3の倍数以外でも)いくらでもおもしろい事ができるのを知っている。
最近の視聴者は、ジャリズムを知らない人々が多い。
(しかしそれは、ジャリズムが東京ではそれほど大きくブレイクできなかったこと、
また、解散していた時期もあったので、仕方がない。)
でも、3の倍数のネタを見て、世界のナベアツをただの一発屋と感じてしまうのは、
時代なんだなと思う。現在のお笑い界の悪い風潮である。
世界のナベアツも、その悪い風潮に巻き込まれてしまうのだろうか?
しかし、実際のところ、一発屋と称され活動することや、
「オモロー!」が、どこまで流行るかなど、
世界のナベアツ自らも、現状を実験的に楽しんでいるようには見えるが…。


あとは、世界のナベアツでいると、
どうしても3でアホになるキャラで仕事をこなさなければならなく、
番組中も、無理やり3の付く数字を言って(言わされて)アホになる
当然、笑いは起こるものの、正直無理あるなぁ〜と私は思ってしまう。
なぜなら、別に世界のナベアツは3の数字でアホになる人じゃないからだ。
あくまでも、そういうネタがあるというだけで、当然、ネタをやるときは、
「今から、3の倍数と3の数字が付くときだけアホになります」ときっちりネタフリをする。
番組中、そういったネタフリもないのに、3の付く数字を振られアホになるのは
理屈としておかしい。私は、これにめちゃくちゃ違和感を感じる。


渡辺さんには今までに無い、またこれからも無いだろうと思わせる
独自の世界観・センスがある。コント、漫才のネタはもちろん、
一発ギャグや大喜利、一人コント、歌ネタ、なんだって出来てしまう。
「創る笑い」においては、お笑い界で頂点に位置するのではないだろうか。
史上最強のコント師、ネタ職人だと思う。
実際、おもしろいコントやギャグなど、いくらでも作れてしまうと思う。
その1つに「3の倍数ネタ」があっただけなのだ。
現在のような消費させられるだけの仕事をして行くことであれば、
当然、世界のナベアツも飽きられ、その活動も、いつか終わるだろう。
しかし、そこで渡辺あつむが終わるわけじゃない。
渡辺あつむのユニークワールドは無限であるから。


ちなみに、出身中学校である守口市立梶中学校には、
ますだおかだ増田さん、中川家の2人などM-1王者の出身校として有名である。
中でも、増田さんとは中学二年生のときに同じクラスだった。
(M-1グランプリを2組が卒業している中学校ってどんなんやねん!)



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●2007年12月10日初回更新日
●2008年10月26日追記・修正更新日