ナインティナインの人気について


私は、現在までのナインティナイン人気を正直予想できなかった…。
大阪の芸人さんは普通、地元大阪で成功して、そして東京からお呼びがかかる。
そして東京進出という形をとり、成功すれば、
ローカルタレントから全国区タレントになれるわけである。しかし、
ナイナイは違った。大阪で人気が出る前に先に東京で売れてしまった


ナイナイが所属していたユニット「吉本印天然素材」でも、
当時は、雨上がり決死隊やFUJIWARAの方が人気はあった。
これはナイナイ本人らも自覚し、認めていた。
しかし、他の5組、いや日本中の芸人を抑えていまや日本のお笑い界を
背負って立つ芸人になってしまった。このナイナイ人気はなんなのだろうか?


ナイナイの笑いのレベルが高かったからだろうか?
残念ながらそれは違う。ナイナイがここまでビッグになれたのは、
やはり他の芸人が持っていないものを持っていたからだ。それは?


そう、それは、岡村さんの「売れたい」という気持ちだ。
それは他の芸人と比べ物にならないほど大きかった。
当時から芸人同士で遊ぶことは、ほとんどなく、 スタッフと遊ぶことが多かった。
そう、売れたいからだ。仕事が欲しいからだ。
そして天然素材の頃も、他のメンバーは、このユニット人気に
満足していた節もあったが、岡村さんは1人だけ違った。
1日も早く「天然素材」を抜け出したい、そして売れたい…と。
しかし、当時、大阪でもテレビで見かけることは、ほとんどなかった。


しかしある時、東京のスタッフがナイナイに目をつけた。
1週間でコントを100本作って、おもしろければ東京で仕事を与える、
といった感じのことをナイナイは言われたらしい。
岡村さんは、これはチャンスだと思ったのだろう。
なんと!本当に1週間でミニコントを100本作ってしまったのだ。
ミニコントが1つ出来上がる度にFAXで東京に送り続けていたらしい。
この努力、この執念には正直頭が下がる。
1口に100本といっても、簡単に作れるもんではない。
岡村さんの「売れたい」という気持ちの強さがわかってもらえたと思う。
ここまで来れたのは、運がよかったというわけでなく、
岡村さんの気持ちがとてつもないものであり、多大の努力をした結果なのである。



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●2000年03月20日初回更新日
●----年--月--日追記・修正更新日