ダウンタウン 松本人志について


自他共に認める笑いの天才・ダウンタウン松本人志
周囲の声よりも自分自身で「俺は天才だ!」と言っている事を耳にする方が多い。
自画自賛だとか、本当の天才は自分で天才とは言わない、と言われる事も多い。
おそらく松本さん自身も「なんで俺が自分で言わな、お前ら気付けへんねん!」
不思議で仕方ないでしょう。
果たして、実際のところはどうなのだろうか?


やっぱり私がビックリするのは、「松本人志は面白くない」と平気で言える人々。
「松本人志は嫌いだ」と言うのなら納得できる。
でも、面白くないという意見は、やっぱり違うのでは?と思う。
こういう言い方をすると、必ず次のような意見が返ってくる。
「笑いは個人によって、好みや趣味が異なる。」
「人がおもしろいと感じることはそれぞれ違う。」
などといった意見だ。
しかし真剣にそう思っている方に是非聞いて欲しいことがある。
確かに、同じ笑いを見ても見る人によって評価や感想は十人十色であるし、
笑える個所や笑える大きさってのは当然違う。
だからといって、それぞれの感じ方がすべて正しいかと言うと、それはもちろんNOである。


と言うのも、「レベルの高い笑い」というのは確かに存在するからだ。
要するに、見る側の人々がどのレベルで満足して笑えるかという問題であり、
松本人志で笑えないという人々は、松本さんの笑いと照準が合っていないだけなんだと思う。
松本さんがおもしろいと思っていることをおもしろいと感じられないのだ
そう、だから決して、ボケを発信している松本さんに100%責任があるわけではない。
松本さんのボケを正しく(おもしろい)解釈、イメージができない視聴者にも責任がある。
松本さんが意図する通りのおもしろい解釈ができずに勝手に間違った(面白くない)解釈をして、
「面白くない!」と、一人相撲を取っているだけ
なのである。
しかし、そういった人々は笑えない責任が自分にあるとは思ってもいないため、
平気な顔で「松本人志は面白くない。」と言えるのだと思う。
当然ながら、松本さんの発言・発想の全てが正しくおもしろいというわけではないが。


しかし、それとは逆で、
「松本人志でしか笑わない人々」がたくさんいるのも事実。
おそらく、そういう人々は「松ちゃんのボケだから、絶対おもしろいんだ!」という固定観念が強く、
自分の心の底では「おもしろい」と思えなかったボケでさえも、
「お…、おもしろい!」と、うなずいているハズ。
また、松本さんにとって、笑わせる意図がなかった部分でも、
「松ちゃんすごい、おもしろい!」と勘違いして満足している人も多いはずである。


一般的に、第一の理解者と言われる浜田さんでさえも、
やはり、松本さんの笑いについていけてない時がある。
たまに、ビックリするぐらい的外れな解釈・ツッコミをしている時がある。
しかし、その時、松本さんは「違うねん!そうゆうことちゃうねん!」とは決して言わない。
的の外れている浜田さんのツッコミに合わせてボケの解釈を変えて行くのだ。
(意図する通りに進まずにイライラしてるかもしれないし、
思ってもない方向へ進む事を楽しんでいるかもしれない。)
そのせいで、結果ボケがつぶれてしまうこともあるし、逆に違った笑いに転換して、
さすがだなぁと思わされることもある。
このあたりは自分の相方をつぶしてはいけないという松本さんの愛が感じられる。
あと、先輩・島田紳助さんとのトーク番組「松紳でも同様で、
紳助さんも松本さんの笑いをおもしろがれない時や、ただ呆れているだけの時も多かった。
相方の浜田さんであっても、松本さんに多大な影響を与えた紳助さんであっても
松本人志の笑いを100%理解しておもしろがれるわけでない。


上記のように、長く時間を過ごしていたはずであろう人々でさえ、このようなズレが存在するのに、
やはりこれを一般視聴者で考えるとかなりヒドイものである。
ダウンタウンが東京進出して間もない頃、ある番組でダウンタウンの特集が組まれた。
「関西からの人気漫才師、東京ではどうか?」的な番組である。
ダウンタウンの各仕事場に取材カメラがずっと追っかけてくるのだが、
もちろん、自身を素で撮られるような松本さんではない。
メイクさんに髪の毛をセットされている時に「もうええねん!触んな!」とキレる。
当然、シャレでキレたのだが、この時に画面上にテロップが出た。
『カメラを意識してふざけているだけです』と。
「えーー!!そんなん、いちいち出したらおもろないやん!」と私は思ったが、
今思えばあのテロップが無ければ、本当に真に受ける視聴者もいたんだと思う。
それがダウンタウン東京進出して間もない頃の話。
で、それから、ダウンタウンが全国区で活躍し世間の笑いをどう変えたか?
お笑い界やコアなお笑いファンには多大な影響を与えたのは間違いないが、
一般視聴者に対しては、結局は現在もそれほど変わっていないと思う。
「ガキの使いやあらへんで!!」での板尾さんのイチャモン企画。
あれを見て真に受ける視聴者がいるらしいから驚きである。
「プライベートの板尾は本当に詐欺まがいな事をしているんだ。」
「板尾の奥さんは外国人なんだ。」と、真剣に思う人々がいるらしい。ホント呆れてしまう…。
やっぱり、そういった人々が世間にはまだまだ多い。
そんな世の中では「松本人志は面白くない」と言える人々が多いのも頷けるし、
松本さん自身がテレビではもうおもしろいことはできないという発言も頷ける。


それに、松本さんをおもしろく感じられない人は、
「松本さんの人間的な部分が嫌いだから」という理由もよく聞く。
私も、言っている事がコロコロ変わる松本さんの性格は嫌いである。
そりゃ、月日が経てば考え方も変わるのが当然ではあろうが、
もっと自分の発言に責任を持ったらどうだろう?とは思う。
あと、坊主にした時に「坊主の方がコントでヅラかぶった時に、
襟足から毛が出てけーへんからええねん」と言っていたが、
コントで女装する時にヒゲがあるのはおかしいんじゃない?と私は思ってしまう。
それに、「髪型をセットする時間があるなら、コントの1つでも考える時間に当てたい」とも言っていたが、
自分で(週に数回?)バリカンで刈る時間はどうなんだろう?
それならいっその事、刈らない切らない方が説得力はある。
そういう言動と行動の矛盾に対して、正直どないやねんと思うことは多い。
このように性格に関しては嫌いな部分、どないやねんという部分は実際にあるのだが、
笑いに関してはおもしろい、笑える。
そこは全く別次元の話であり、そこをいっしょにするから、
「松本人志は面白くない。」となってしまうのだろう。
そう表現するからおかくしなるのだ。単純に、「松本人志は嫌い」でいいと思うんだが…。


松本さんの一番の魅力は即興のアドリブボケ・トークである。
「ガキの使いやあらへんで!!」本番前、何も考えずに舞台に出て行っても、
目の前の客を笑わせることは造作も無いことである。
また、そのようなトークやしゃべりばかりが着目されるのだが、
動きの笑い」に関しても、やはり天才的におもしろい。
「ダウンタウンのごっつええ感じ」のダンスレッスンの先生コントや、
「松ごっつ」のタイムスリップショッピングダンスなどのように動きで笑わせる事も可能である。
特に運動神経が良いというわけではないので
機敏俊敏に動いているわけではないのだが、しっかりと笑い生む動きである。
動きで笑わせる芸とは、何もブレイクダンスができるであるとか速く機敏に動けるとか、
そういう事では無いという事を理解して頂きたい。


つい最近ぐらいまでは、「もうピークは過ぎた…」と感じさせる時もあった。
しかし、それは厳密に言うとピークを過ぎたワケではなかった。
デビューして20年余り。
ここに来て、松本さんの笑いのパターンが全て出切ってしまった感があったからだ。
松本さんがボケても「前に聞いた事がある。」と感じることも多かった。
意外性や斬新さを武器としていた松本さんの笑いから、
意外性や斬新さが無くなってしまった
ように思えた。
松本さんがボケる瞬間、「ひらめく」というよりも、ちょっと考えている感じがあった。
それは若い頃のような「ひらめき」が無くなってしまったからかもしれないし、
また、ひらめいても、「(このボケは)前に言った事がある…。」と考えている事もあったらしく、
ゆえに俊敏さが無くなっていた。
その為、ピークは過ぎたと思われることがあったが、これも一時的な事であり、
やはり、発想の凄さが衰えたというわけでは決して無い。
過去、「40歳になったら発想力が劣るので引退」という事をよく言っていた。
今に思えば、40歳の時の松本さんは上記に書いたように、
ピークは過ぎたと思わせるような一面もあったが、
それ以降の松本さんからは、再び天才だなと思わされる。
結局、「40歳の1年間だけ」なんか悪い意味で、
過去に自分で言ってたことが現実になってしまっていたような気がする。
(松本さん、たまに自分の言ったことがちょいちょい実現してしまうことがある。)


「ガキの使いやあらへんで!!」のトークも笑えなくなったという声もよく耳にするが、
松本さんの笑いを絶賛するファンも過剰に期待を持ちすぎではないか?と思う。
トークが面白くなかった時、「まあ、そうゆう日もあるよな」と思うファンはほとんどいない。
松本さんの笑いを絶賛しているファンにとって、そこは「怒り」に変わる。
誰もが松本さんに笑いを求めている。しかしそれ以外のものは求めていない。
一般的なタレント業に甘んじて手を抜いているように見えているのだろうか?
私も、手を抜いているとまでは思わなかったが、
「ダウンタウン松本じゃなくなった」なと思ったときはあった。
「ただの松本人志になった」と思ったことがあった。
私の中での松本さんはボケるときに決して笑わず感情を出さずにダラっとボケる。
また、他の芸人を一切認めない。…といったようなイメージが強かった。
全ては人を笑わすため、自分が笑いで一番であることを
主張するかのような振る舞いだったように見えた。
そして、それが芸と芸風に一致しており「ダウンタウン松本」を形成していた。
しかし、現在、自分自身のボケに自分で笑い声を上げることが多い。
「一人ごっつ」では自分のボケに自分で大爆笑していたほど。
「おもしろから、しゃーないやんけ!」と言われそうだが
(誘い笑いや、照れ笑い的なものがあるのもわかるのだが)、
昔はそれを一切しなかった。
ここで一回、ダウンタウン松本じゃなくなった。
そして、若手芸人に対して軽々しく「おもしろい」と認めることも多くなった
決してそれは悪いことではないと思うのだが、これも一切昔はやらなかった。
俺以外に誰がおもろい奴おるねん!ぐらいの勢いだった。
そして、番組の企画での勝負ごとでも真剣にやることが多くなった。
昔は勝敗など関係なく笑いに走った、ボケまくった
しかし、今では勝負に勝つと本気で歓喜し、負けると本気で悔しがる
現在、タレント化したとよく言われるが、その要因はこれらが1つ1つ崩れていったからだと思う。
ある種、ダウンタウン松本を演じていたという部分もあるだろうし、
若さゆえにツッパっていたということもあっただろうが、
今はもう「ダウンタウン松本」でなくなった
「素の松本人志」のまま仕事をしているように、私は感じる。


松本人志はおもしろい。それはもう間違いないのだが、
正直、私は今の松本さんに期待することはほとんど無くなった
約5年振りのコントということで話題になった「Zassa(ザッサー)」
ご本人も大きな自信を持って公開されたようだが私は期待していなかった。
そして「Zassa」を観た。案の定おもしろくなかった。
また、年1回恒例となりつつある特番「笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」
コンビをシャッフルしてネタを披露するのだが、毎年松本さんコンビのネタは特に面白くない。
そして、初監督作品となった映画「大日本人」、二作品目の「しんぼる」
各メディアを通して監督からの自信たっぷりのコメントが耳に入ってきたが、
期待せずに劇場へ足を運んで観た。やはりこちらも案の定笑えなかった。
あと、「すべらない話」。サイコロの目が「松本」になっても期待しなくなった。
他の出演者の話の方が笑えるからだ。
しかし、期待していないと言いつつ、これらの番組や作品を必ず見ているということは
やっぱり期待しているということなのかも知れないが…。



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●2000年04月01日初回更新日
●2009年11月01日追記・修正更新日