130R 板尾創路について


広いお笑い界には様々な芸風がある。わかりやすい芸風からわかりにくい芸風まで。
その中でも、わかりにくい・理解されにくい「シュール」という分野が存在する。
意味は「超現実主義」語源はフランス語のシュールレアリスムという言葉らしいが、
実際のお笑いにおけるシュールは、お笑いならではの独自の意味を持っているハズ。
それを説明するのは非常に困難ではあるが、何とか板尾創路批評をするにあたり、
その「シュール」を紐解いて行きたい。


板尾さん以外に、シュールと言って思い出される芸人に、
よゐこ、ふかわりょう、ラーメンズなどがいる。
こんな事を言うと、単に営業妨害になってしまうだけだが、
私が思うに彼らはシュールではないと思う。では、板尾さんはどうであろうか?
私は、板尾さんに関してだけが、「シュール」だと言い切れる芸人さんだと思う


その根拠なのだが、まず、「笑い」というものを理屈で説明する事は可能であるか?
不可能であるか?という疑問を投げかけたい。
「笑い」とは、もともと形の無いものであり、人の感性によって様々な解釈があるものだ。
しかし、「笑い」を理屈で説明する事は不可能ではない
いわゆる「意外性、逆説、誇張、反復、あべこべ、取り違え、優劣、スカシ…」などの
言葉を利用して説明する事は可能である。
それを大前提とした場合、ラーメンズ、ふかわりょう、よゐこの笑いは、
理屈で説明する事が可能なのである。ラーメンズは比較的シュールだとは思うが、
しかし、それは、不条理な事を2人で、注意・修正などをする事なく、
お互いがそのまま受け入れていく世界観を作り出している為に、
シュールという言葉が似合うだけである。
ふかわりょうのネタに関しては、「あるあるネタ」だと言ってしまえば、
とりあえず、それで説明する事は可能だ。
よゐこに関しても、「間」をうまく利用した笑いであり、
且つ、ボケ+ツッコミの笑いの定義にも当てはまる。
しかし、板尾さんの笑いは理屈で説明ができない…。それはなぜか?
「シュール」だからである。


「ダウンタウンのごっつええ感じ」のワンコーナー「板尾係長」での一言。
「お前とお前は帰ってよし」。さて、これを、どう理屈で説明できるであろうか?
あるあるネタ?いや、違う。意外性!?うん、確かに意外だ。
しかし、意外ではあるが意外性だと言い切る為には前提(設定・ネタ振り)が無ければいけない。
しかし、「お前とお前は帰ってよし」自体へのネタ振りは存在していない。
(水の中から出てきて、ワケのわからない事を言うのが
おもしろいという解釈はちょっと違うと思う。そうゆう笑いでは無い。)
シュールは理屈で説明ができない…。それだけではなく、
さらに、シュールの定義としてあげられるであろう事は、
シュールはツッコミを必要としない。または、シュールにはツッコむ事ができない
という事は考えられはしないだろうか?
「お前とお前は帰ってよし」さて、どうツッコむ?
「なんでやねん!」いや、絶対違う。「2人だけかい!」いや、絶対違う。
正直、シュールには、ツッコむ事が不可能なのだ。
「君、泣いてんのか?」これにどうツッコミむ?
「泣いてるんかい!」いや、絶対違う。そう、やっぱりツッコめないのだ。
と言うのも、現に、あのダウンタウン浜田さんでさえも、
板尾さんのシュールに対するツッコミは全て、「それ、なんやねん(笑)」である
そして、松本さんのツッコミも全て、「どうゆうことやねん!(笑)」なのである
であるから、板尾さんのボケで笑えない人々は、
「何が、おもしろいのか分からない!」という理由で怒る方もおられるだろうが、
それも無理の無い話。板尾さんの事をおもしろいと思っている人々でさえも、
「何が、おもしろいのか分からない!」という答えは同じだからだ。


ダウンタウン松本さんの笑いもシュールと言われるが、
しかしながら、松本さんの発想には元となる根拠が存在する
だからこそ、浜田さんがツッコむ事ができる。「なんで、二回ゆーねん!」
そう、無駄に二回同じ事を言っているから、そうツッコめるのだ。
松本さんのボケには、しっかりとした意味・理由があるのだ。だから、
ボケ+ツッコミの形式で伝える事ができる。理屈で説明する事も可能である。
であるから、私の定義で考えると、松本さんの芸風もシュールではないと思う。
(部分的には、そういう笑いもあるとは思いますが…。)


結局、シュールについて何も分かっていないようではあるが、
笑いを理屈でしっかりと説明できる人間じゃないと理解できないという事も含め、
この定義は、案外深いのでは?と思う。
結局、ラーメンズ、ふかわりょう、よゐこなどがシュールと言われるのは、
簡単に言ってしまうと、単に、「ツッコミが無い」からである
であるから、彼らは、本質的なシュールではないと思う。
彼らの笑いにツッコミを入れたり、理屈で説明する事などは可能だからだ。


さらに、シュールの定義としては、「韻を踏む」「音の響き」という事も考えられないか。
理屈で語れず、目で見えない「音」でのおもしろさがあると思う。
「韻を踏む」と言えば、「お前とお前は帰って良し」、「食べごろか、食べごろなのか〜」
「気持ちがフワフワ ワウワウ〜」、「フレッシュ!やっぱりフラッシュ!」など。
かなりこじ付けではあるが、似た音を並べるという傾向はあるようだ。
そして、「音の響き」と言えば、「東京コミュニケーション」、「トロピカルゼネレーション」、
「ツッパリミネラルウォーター」、「エキゾチックポリス」など。
先程、シュールは理屈で説明できないものと定義したが、
それを表しているのが、まさに、これらの笑いである。
「トロピカルゼネレーション」決して、意味を考えてはいけない。和訳なんて絶対してはいけない。
というのも、これらに関しては意味を考えて笑っている人などいないはずだ。
(いや、人それぞれ、異なる解釈・イメージはあるだろうが、
それらの言葉の意味がおもしろくて笑ってはいないはず。)
「意味を持たない音の響き」なのだ。単語の組み合わせが不条理なのだ。
不条理な言葉ゆえに、不条理なイメージが浮かんでくる。
ゆえに、「それ、なんやねん!」、「どういう事やねん!」なのである。
もっと言えば、「ばにゃ、ばにゃ、ばにゃ、ばにゃ…」
これこそ、全く何の意味も持たない。しかし、おもしろいのである。
シュールとはそういった笑いなんだと思う。
ここまで来ると、やはり芸術であり、「シュール」という名称はとても似つかわしい。
そう、芸術。絵画や音楽と同様、良い物に理由は存在しない。
「良い物は良い」である。それは板尾さんの笑いにも当てはまると思う。


幼少の頃、川柳教室に通っていたらしい。その為、
短い言葉の中で、自分の言いたい事を表現する訓練ができていたのだろう。
あと、韻を踏んだり、音の似ている言葉を並べたりする事も、
川柳で身に付いたのかもしれない。そして、ご本人も、今思えば、
川柳をやっていた事が、「板尾係長」などに活かされていたのだろうと語っていた。
そして、「短い言葉で笑わす」事が美徳であるというような事も語っていた。


笑いのタイプとしては、どちらかと言うと東京向きだと思う。
関西圏では、ボケとツッコミがセットになっていないと笑えない、
ツッコミが無いと、どこで笑っていいかわからないという風潮がある。
よって、関西で成功したシュール芸人はいない。
板尾さんに関しても同様で、大阪時代、特別活躍したという記憶は無い。
やはり、東京進出してからの「板尾課長」、「シンガー板尾」で、
板尾ワールドを世間に認知させたと言える。


シュールとよく言われるのと同時に、「ミステリアス」とも言われるが、
それは、芸風だけに限った事ではない。実生活でもとてもミステリアスで、
実際、本当に何を考えているか分からない事が多いという事らしい。
相方のほんこんさんでさえ、「俺もあいつの考えてる事わからへんねん!」である。
それに普段は、ほとんど、いや、全くと言ってもいい程しゃべらない人らしい。
いつまでも黙っている事が多い人のようだ。
そういう意味で言うと、公私共に何も変わらない人なんだと感じる。


とは言え、「ごっつええ感じ」での板尾さんのコーナーは爆発的におもしろかった。
それに、大喜利でも爆発的におもしろいボケをする
では、なぜ、そんなシュールでおもしろいにも関わらず、
それ程、高い評価をされず、且つ、それ程、売れていないのか。
それは、「強い要求に答えるタイプの芸人だからである。」
「ボケましょう」のコーナーにおいても、『銭湯でおもしろい事をせよ』や、
『映画館でおもしろい一言を言え』といった要求。
「板尾係長」でも、『水の中から出てきておもしろい事をせよ』という要求。
(最初の企画段階では、”水の中から出てきて何かする”という案しかなかった)。
「シンガー板尾」に関しても、司会役の浜田さんが歌のタイトルを言うが、
それを本人は本番まで一切聞かされていない。即興で歌うのである。
「虎ノ門しりとり竜王戦」ではテーマの与えられたしりとり。さらに、
お題を出題されてその場で即興で答える「大喜利」なんかはとてもいい例である。
要するに、板尾さんの笑いは、そういった「強い要求に答える」笑いである。
ある限られた条件を与えられた時、板尾さんの笑いは爆発する。
が、しかし、放っておけば、自分から前に出る事は無く、いつまででも黙ったままである。
当時、ほぼ無名だったにも関わらず「ごっつええ感じ」の様々な企画で
伝説を作ったのも、そこには、全国区ゴールデン番組のレギュラーに
抜擢してくれたダウンタウン松本さんからの(暗黙の)強い要求に
答えたに過ぎないとは言えないだろうか。


そんな自分で前へ出て行くタイプではないはずなのだが、、
素人時代、島田紳助さんに弟子入りするため、
自ら、(実家のパルナスのケーキを持って)紳助さんの自宅まで押しかけた事がある。
めちゃめちゃ行動力があるではないか。
そのような自分から動き出すパワーが芸風にも表われていれば、
現在の芸能界での活躍ぶりも変わっていたような気がするのだが…。
ちなみに、ほんこんさんとは吉本総合芸能学院NSC(4期生)で知り合うのだが、
板尾さんがNSCの存在を知ったのは紳助さんに勧められたからである。


板尾さんの大喜利の才能は、お笑いファン、業界でも認めれているところだと思うが、
最近では、大喜利をしている姿をあまり見る事はなくなった。
どちらかと言うと、単発の番組で大喜利企画などがあった場合、
回答者ではなく、審査員や出題者的な立場でゲスト出演することが多くなった。
才能や実力が認められた上での審査員なのだろうが、
なんかもったいないなぁと思う。
ファンにとっては、他人のボケを解説する姿ではなく、ボケを発する姿を見たいはずだし。


これは余談であるのが、「川柳」もそうではあったのだろうが、
あのシュールさは、板尾さんのお母さんからも伺い知る事ができる。
というのも、板尾さんの名前は「創路(いつじ)」である。
なのに、お母さんは板尾さんの事を「イチロー」と呼ぶ。
もう、めちゃめちゃシュールではないか(笑)そしてイチローと呼ぶ理由が、
「”いつじ”だと呼びにくいから。」である。
案外、板尾ワールドの発祥はここにあるかもしれない(笑)



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●2003年12月30日初回更新日
●2008年01月06日追記・修正更新日