何を思ったか、急にコラムというものを書きたくなりました。ところでコラムって何?
正しい意味を知っておかなくてはいけないと思い、辞書で「コラム」を調べると、
『新聞・雑誌などで、短い評論などを書く欄。また、その記事。』とありましたので、
じょるのなりに、新聞・雑誌などで、短い評論などを書く欄。また、その記事を書いてみたいと思います。


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第39回目【最近のツッコミ事情】2011年1月19日(水)
日々、笑いは進歩してるのか?お笑い界は進歩しているのか?
そんな答え、すぐには出てこない。

でも昔に比べて、「ツッコミ」は確実に進歩していると言える。
いや、進歩というより進化と言った方がいいかもしれない。

(極端な例ですけど)
過去、漫才ブームでのツッコミは、「よしなさい!」「なんでやねん!」だけで事足りるようなものだった。
しかし、今はそうじゃない。ツッコミにボケ要素を入れてみたり、フレーズに趣向を凝らしたり、ツッコミ自体がおもしろくなるという進化を遂げている。



例えば、昔なら、
「お前、なんちゅう顔しとんねん!」
とツッコんでいたものを、現在は、
「顔!」
とだけツッコむ。
(具体的な状況例を挙げませんので、ピンと来ない人もいるかもしれませんが)

ただ短く簡単にツッコんでるわけじゃなく、これがちゃんと笑いを誘発するツッコミになっているからすごい。
簡単にできるしわりと効果あるので、ピンと来た人は日常でもやってみてください(笑



ツッコミにも流行り廃りはある。
以前はおもしろいなぁと思っていたツッコミも、あまりにもその言い回しの効果に頼って多用する若手が多いため、つまらない、嫌いになったツッコミも多い。
(厳密には、それに頼ってる芸人が嫌い)

例えば、

「なんで、○○やっちゃうんですか!」
「どうして、○○しちゃったんですか!」てなツッコミ。

(具体的な状況例を挙げませんので、ピンと来ない人もいるかもしれませんが)

このツッコミの言い回しはおもしろい。
ツッコむ対象、目の付け所が悪くても、この言い回しでツッコんでさえいれば、ほぼ笑いになる。

でも逆に、言い回しに頼ってるだけである為、このツッコミを多用する芸人は、私の中で「大した事の無い芸人」になる。



他にも、
「これ、アカンやつや!」
「それ、やっちゃいけないやつ」てなツッコミ。

これも同じく言い回しに頼ったツッコミである。
ホントつくづく言い回しに頼る芸人って多いんだなって思う。でもすごくよく出来た言い回しなので、(誰がやっても)きちんと笑いになってしまう。(それが問題なのだ)

その芸人がおもしろいんじゃなくて、そのツッコミがおもしろいということに気付いて欲しい。



で、言い回しに頼ったツッコミで私が最も嫌いなのは、

「○○してもらっていいですか」
「○○するのやめてもらっていいですか」
である。

(例)
「早く紹介してもらっていいですか」
「謝ってもらっていいですか」
「そろそろツッコんでもらっていいですか」てなツッコミ。

これこそ、ツッコミの内容は薄々で、完全に言い回しに頼ったツッコミである。
私の嫌いな芸人のほとんどがこの言い回しを多用している。
(嫌いな芸人というのは、おもしろいと思えない芸人ということです。)

私の主観だが、やっぱりおもしろくない芸人は(無意識だろうが)言い回しに頼りがちである。
年末年始のバラエティでもウンザリするほど聞いた…。。。



逆に私が、好きですごいなと思うツッコミもある。
これは言い回しではなく、瞬発力やセンスなどが必要なので、この類のツッコミができる芸人はやっぱりおもしろいし才能あると思う。

そのツッコミというのは、(顔などを)誰かに例えボケ等されたときの返しツッコミなのだが、


「誰が○○やねん!」
昔はここで終わっていたのだが、
「誰が○○やねん!△△したろか!」のパターン。一言付け加えるのである。
この△△の部分が、センスの表れるところだ。
(このパターンのツッコミのすごさには比較的気付いている視聴者は多いと思う)


では、これはちょっと具体的な例を挙げてみます。

FUJIWARA藤本さん。
「誰が隕石やねん!お前の家に落ちたろか!」

FUJIWARA藤本さん。
「誰が日光猿軍団の校長やねん!厳しい訓練受けさせたろか!」

サバンナ高橋さん。
「誰がトランプのジョーカーやねん!三日月に座って揺れたろか!」

フットボールアワー後藤さん。
「誰が未来警察やねん!透明な手錠出したろか!」


たぶん、これらの例だけで分かってもらえたと思う。
あと、ブラックマヨネーズ小杉さんもこの手のツッコミやるのだが、小杉さんの場合は少し程度が下がる…。ちょっとそのままやん的な言葉が多いので…。


で、誰が最初にやり始めたのかなぁと考えてたところ、FUJIWARA藤本さんかなぁって思う(自己見解です)。

FUJIWARA藤本さん。
藤「誰がジャガイモやねん!ヨウ素液で紫色になったろか!」
原「いや、それがジャガイモやねん!」

ってのはかなり昔から言っている。
それ以前はあまりこのパターンのツッコミって他の芸人からは聞いたことないので…(自己見解です)。

このパターンのツッコミができる芸人さんはかなり限られてくると思う。頭の回転や様々な知識がないとまず出来ないから。
正直、最近では、これも言い回しに頼るツッコミとしてかなり多用されているのだが、付け加える△△の部分が難しいため、そこまで変に流行ってないのが良い。
才能ない芸人がこのツッコミをやろうとすると必ず火傷するから、安易に多用できないのだろう。



あと、南海キャンディーズ山里さん、銀シャリ橋本くんらの逸材な言葉のチョイスをするツッコミ。これもすごいし、おもしろい。
語彙力を必要とするのはもちろんだが、そのチョイスがあまりにも見え見えだと逆に寒くなっちゃう恐れがある。その中で本当に適切な言葉を選ぶセンス。
こういうツッコミもホントは流行っていておかしくないのだが、やっぱり簡単には真似できないのでそうそう流行らない。



「ツッコミ」=「客の代弁。ボケ役を注意する」
これはもう大昔の定義だ。

今は、ツッコミにもボケ要素や自分自身のセンスを入れて、ツッコミ単体でもおもしろいものを追求しないといけないだろう。
芸人が飽和している現在のお笑い界で、そこの差は大きい。少なくても私はそこに注目して見てる。

ツッコミは努力でなんとかなる、というのも大昔のお話だ。


みなさんも、印象に残っているツッコミがあれば教えてください!



第38回目【書くもん】2010年11月03日(水)
人のアホさが垣間見れる状況として、
「なんか書くもん貸して」という状況があります。

「なんか書くもん貸して」という何気ない言葉ですが、
この言葉だけで、その人のセンスというか頭の良さ、悪さが図れると思ってます。

そもそも、お願いする言葉として、
「書くもん貸して」だけの時点で言葉足らずであり、決して賢くはないですよね。

鉛筆を貸りてから、「いや、ボールペンがええねんけど」とか言う奴もいる…。
「なんか書くもん」って言うたやん!
「なんか」言うたくせにボールペン限定ってどういうことやねん?
それ「なんか」ちゃうで!

貸してくれる人に対して、「鉛筆?ボールペン?」とわざわざ聞き返さなくてもいいように頼めんもんかと思う。


こんなアホな場面もあります。

A「書くもん貸して」
B「鉛筆?ボールペン?」
A「鉛筆を貸して」
B「はい、どうぞ」

で、ここで借りた側が
「鉛筆ちゃうやん。シャーペンやん!」とか言いよる。
たまにいるんですよ。こんなアホ!
いっしょやん!シャーペンがダメで鉛筆じゃなきゃいけないな状況って、どんなケースなん?
え?デッサン?デッサンするの?
意味がわからん…。
鉛筆が欲しいのなら、ハナからきちんと「シャーペンじゃなくて鉛筆を貸して」と、そう言いなさい。


で、さらにアホなのは、

A「書くもん貸して」
B「鉛筆?ボールペン?」
A「鉛筆を貸して」
B「はい、どうぞ」

で、食い気味で「紙は無いの?」とか言いよる。
「書くもん」=「ペン+紙」のセットかえ!!
じゃあ、最初から「紙と鉛筆を貸して」ってきちんと言えんか?

こういった意味のない無駄なやりとりがもうアホすぎるでしょ。


あと、これは借りる側、貸す側どっちがアホなのか判断難しいのですが、
こんなやりとりもあります。

A「書くもん貸して」
B「鉛筆?ボールペン?」
A「ボールペンを貸して」
B「はい、どうぞ」

で、貸す側が、ノック式ボールペンのペン先が引っ込んだ状態で貸す場合、
借りた側はそのまま書こうとするが当然何も書けなくて、そこでペン先が出てないことに気付く。
で、ノックしてペン先を出してやっと書き始める…。
(無駄な時間やなぁ…)

これは一瞬、貸す側に優しさが足りないのでは?と感じる方もいるかもしれませんが、
ペン先を出したまま貸すと、意図しないところに(渡すときに指とか手に)インクが付かないように…と想定して、
わざわざペン先が引っ込んだ状況で渡している、そういう優しさが考えられます。
ですので、貸す側に対して、この「ペン先が引っ込んだまま渡す」という行動は、
一概にかしこいのか、アホなのかってのは判断難しいです。

なのに借りる側は、ペン先が引っ込んだままで渡すなよ、と(逆ギレぎみに)思う奴もいるでしょう。
私から言わせれば、それはやっぱり頭悪いです。
貸す側の気遣いの可能性があることを想定できないわけですから。
それ以前に、そもそも貸してもらえた時点でありがたいと感謝せなあかん立場のくせして…。

さらに言うと、ペン先が出てると決め付けるなよって思います。
ノック式ボールペンやねんから、ペン先が引っ込んでる可能性も想定できんか?って。


で、さらにさらにアホなのが、

A「書くもん貸して」
B「鉛筆?ボールペン?」
A「油性マジック」

えー!!!マジックやったん!!!?
「書くもん」で想定できるのは「鉛筆」「ボールペン」ぐらいまでです。
マジックであるならば、「油性マジック貸して」ときちんと指定しなきゃだめでしょう。

その場合、ちゃんと「油性」と言ってくださいね。

A「マジック貸して」
B「どうぞ」
A「これ水性じゃん?油性がいいんだけど」

絶対こうなりますから。

でもね、「油性マジック」と頼んだとしても、アホな奴は次のようになるんですよ。

A「油性マジック貸して」
B「油性マジックですね。はいどうぞ」
A「もっと太いの無い?」

どうでしょう?みなさんも一度ぐらいは、
上記に挙げたようなことでイライラさせられた経験あるんじゃないでしょうか?

職場とかで、こういったアホで無駄なやりとりが聞こえてきたら、ホント、イライラしますね。

でも、一番最悪なのは
ペンを借りたこと自体を忘れて、(返さずに)そのままどっか持って行きよる。

ホント、言葉失いますよ…。
きれいすぎるわ!きれいなアホすぎるわ!アホすぎてきれいやわ!


この「なんか書くもん貸して」は非常に危険な状況です。
少なくとも私はこの言葉で人の頭の良さ悪さを図っています。

私は人に書くもんを貸すことも借りることもしません。絶対そういうイライラする状況に巻き込まれるから。

仮に、どうしても何か書くものが必要で困ったとしても、
人にペンを借りるという手段は選びません。自分の指先噛みちぎって血文字で書くことを選ぶだろうと思います。



第37回目【35歳】2010年7月17日(土)
本日、とうとう35歳になった。

いや、特に何かを気にするという事はないんだけど、
「世間から見られる35歳」が嫌…。

私は下手すりゃ10歳ぐらい若く見られるので、
自分でもなんかまだ二十代半ばぐらいの感覚でいる。

周囲の同年代と比べても若い。
見た目もそうだけど、感性が若いと思う。
…いや、感性が幼稚なんだと思う。
自分はいつまで経っても子供なんだなぁと。


大人になるということは、
「夢との距離に気付くこと」って誰かが言ってた。

誰だって子供の頃は、
プロ野球の選手になれると思ってただろうし、
アイドル歌手にもなれると思っていただろう。
もっと言えば、透明人間にもなれると思ってたし、
仮面ライダーにだってなれると思ってたし、
かめはめ波だって撃てると思ってた。

もし35歳の私が今、「透明人間になりたい」とかって言えば、
同世代の大人たちは、
「透明人間って網膜も透明になるから何も見えなくなる。透明人間なんてありえない。」と言うだろう。

この差だよ、この差!
周囲の人々と温度差や壁を感じるのは。

でも、正しいのは周囲の人々。大人だからそれでいいんだ。
じゃあ、私はいつまでも幼稚でいたい…。


私は今も、自分と夢との距離は変わっていないと思っている。
夢との距離は変わっていない。
でもその道の上に「世間体」や「年齢」などという障害物が増えた。

その点、周囲の大人たちは夢との距離にすでに気付いている為、
とっくに別の道を探しそちらへ歩み始めている。
ある程度いろんなものが約束されているであろう道を歩いてる。

なんだかんだ言って、
そんな彼らの背中を見てしまうと、やっぱり焦ってしまう。
夢への距離は変わらないのに、夢の到達はものすごく遠く感じる。
焦ってその障害物をどかそうと置き場所を探すのだが、置き場所すらなくなってる。
ただでさえ、子供は片付けるのが下手なのに…。

前にも後にも進めない状態。
逆に言えば、自分は昔からずっと同じ場所にいるんだろうな。
自分は子供のままなのに、周りの景色がどんどん流れていってる。

前へ進めてない…。
成長できてない…。
進むべき道も見つかってない…。


毎日、あほなことを言って笑ってるだけじゃダメだったのかなぁ…?
でも、それ認めちゃうと、自分の存在意義とか過去を否定してしまうことになるから、認めたくない。
全力で大人になることを拒否してる自分がいる。

夢を妥協したり、夢を諦めたり、思ってた道と違う道を選択なければならなかったり、
それってすごい勇気のいることだと思う。
自分はまだそんな勇気が出ない…。
何もかも終わっちゃいそうで怖い…。


うーん、やっぱり35歳が書く文章にしては内容が幼稚やね。
まぁ、目の前にある障害物のせいにしてるようじゃ、まだまだダメだ。

35歳。
またゼロからのスタートやな。



第36回目【名ばかりエコ】2010年5月04日(水)
「エコ配」というエコに力を入れている配送業者があります。

先日、不在連絡票が投函されていたので、再配達の希望日をこのエコ配へ連絡。
しかし、再配達希望日を伝えているにも関わらず、
それ以外の日に何度もやって来て、その都度、不在連絡票を入れてく…。

この2日間だけで不在連絡票を6通投函して行きよった!


むっちゃ紙使うやん。



第35回目【似てる】2010年3月26日(金)
私はおもしろいことがあれば、「なぜおもしろいのだろう?」とその理由を考えてしまう癖がある。
笑いにもちゃんと理屈で説明できる理由があると思っている。
しかし、どうしても理由が見つからないものも多い。でもそれを考え悩むのもまた楽しい。

その一つとして、「似てる」ということがある。
モノマネ芸など見て「似てるー!そっくりー!」と笑える。が、あれはなぜだろう?

確かに、コージー冨田、ホリ、ミラクルひかるなどのモノマネ芸は笑ってしまう。
モノマネ芸は「芸」だから、人が楽しめるように作られているのは当然なのだが、それだけではないはず。
で、少し考えたところ、その答えとして出たのが「あるあるネタ」の要素があるから笑えるんだと思った。

上記のモノマネ芸人さんは似せるだけでなく、それプラス「本人がやりそう」「それ言う言う」的な「芸能人あるある」の要素が強かったりする。
でも、さらにもう少し考え続けると、その理由は間違っていると感じた。

例えば、友達のオカンを見たときに息子と顔が似てたら、「そっくりやーー!!」と、やっぱり笑ってしまう。
そこには「あるある」的な要素はない(はず)。

いや、ひょっとすると、「親子は似ているもの」というのが「人間あるある」になるのだろうか?うーん、それは違うなぁ…。

じゃあ、なんでだ?

なぜ似てたら笑えるのか?
なぜそっくりだったら笑えるのか?
この理由が見つからない。


で、さらに考えると、逆に「似てない」からおもしろいものもある。
例えば、「下手な似顔絵(子供の描いた似顔絵など)」などである。

でもこれは、「似てない」から笑ってしまうのではなくて、「絵の技術の無さ」を笑っている(嘲笑)のだと思う。
(人が転んだのを見て笑ってしまう理屈と同じか?)

絵だけじゃなく、親子や兄弟でも「全然似てないやん!」とツッコみたくなるように、今度は逆に「似てないからおもしろい」ともなる。

この世には、「似てるから笑えるもの」、「似てないから笑えるもの」の相反する2つがそれぞれ存在してるということになるじゃないか(矛盾してる)。
しかし、栗田貫一のモノマネに笑ってしまうのは明らかに後者である。それだけは分かってる。それだけはァーー!!



第34回目【ICOCA】2010年3月07日(日)
「ICOCA」
JR西日本発行の非接触型ICカードICOCA(イコカ)。

(Wikipediaより引用)
>カードの名称は、ICオペレーティングカード(ICOperatingCArd)の略称であるが、
>関西弁の「行こか」(「行こう」の意味)とも掛けた親しみやすい名称としている。


戻るやつもおるっちゅーねん!



第33回目【「しんぼる」感想】2009年9月16日(水)
↓以下の感想にはネタバレがあります】




「しんぼる」観に行ってきました。以前、「大日本人」についての感想も書かせてもらいました。「大日本人」を観た直後の私の感想は「松ちゃん、やっちゃったな…」でした。
今回「しんぼる」を観た直後の感想は「…退屈だった」「前回よりもダメ」でした。

笑えるシーンは皆無です。
松本さんが絶対的に笑わせにかかってきたボケにおもしろいものは一つも無かったです。
自分で言うのも変ですが、自分は割りと笑いには良心的な脳をしており出来るだけおもしろい解釈をして笑う回路を持っているはずだったのですが、どう解釈してもおもしろくなかったです。
笑うとまでも行かなくてもクスッとしたシーンはありましたよ。
冒頭のエスカルゴマンが新聞読んでるシーン。鍵のスイッチだと思ったら壁から出てきた白い犬に怯える主人公。手品のおばちゃんの顔。です。
逆に言えばそれぐらいのもんです。

松本さんが笑わせにきたシーンで多分誰もが気になった場面。「しょう油」のくだりですよね。松本さんの意図が全く理解できないアレです。
なんでしょう?
お笑いを見慣れている私たちだと空っぽのしょう油皿があった時点でもう分かるじゃないですか(お笑いを見慣れてなくても分かりますけどね…)。で、その時点で私はずっと松本さんがどうツッコむのか(どう落とすのか)を期待して、自分でもどんな落とし方が最適なのかいくつかパターンを考えながら見てました。ところが…「遅いねん!」とノリツッコミ。
間がわざとらしかったので1周、2周させた笑いだったのかもしれませんが、そう解釈してもあれはダメ。(しょう油が後から出てくるのを見据えた上で)スイッチを押して2つ目の寿司が出てきた時点で笑わせたかったのか?もしくは、(寿司を食べる)長いネタフリで笑わせたかった?だとしたら成功していない。2回目のしょう油の為のネタフリ?いや効果的じゃなかった(むしろ1回目でしょう油出さずに2回目タイミングだけでしょう油出す方がまだ効果的と言える)。

つーか、いや私は別にどっちでもいいんですよ。でもあれでは世間に誤解されます。「しょう油が出てくるなんて予想できたわ!」と言われます。
私は自分が笑いたいという気持ちで見ておらず、どうも親心というか、世間に笑ってもらいたい、松ちゃんの評価が上がれば嬉しいなと思って「しんぼる」を見てました。世間から「2作目はおもしろかった」という声を聞きたかったんです。
でも…結局全然ダメでした。

退屈な映画やなぁと思いながら観てました。ただクライマックスの昇天していくシーン。あそこで何とか作品としては締まったかなとは思いました。ちょっと時間かけすぎでしたけど…。
ただ、そうなるのならば、密室でのシーンをもっともっとグッズ増やしてボケも増やしてテンポもアップさせて、バカバカしく笑い満載のシーンにしてやらないと昇天シーンとの対比にならない。「密室」と「メキシコ」の対比よりもそっちの対比の方が重要だったはず。

本来、密室のシーンこそ松本人志を発揮しないとダメなところでしょう。本気で笑わせる気あるのか?と思いました。外国人向きと言ってましたけど、外国人に合わせるんじゃなく自分のやりたい笑いをぶつけるべきでは?多くのファンをそれを(それだけを)望んでいるのに。焦点ズレも甚だしい。

さらに、密室のシーンではもっと観客の感情を揺さぶらせないとだめですよね。
脱出に対して「頑張れ!」と応援する気持ちにさせたり、脱出がうまく行かない時はがっかりさせたり、うまく行けば「やったー!」と主人公と同じ目線で喜べたりと、立ち向かう主人公に感情移入させないとだめです。
実際に、ロープにぶらさがってスッポン持ってスイッチに向かう時はちょっと感情揺さぶられましたもん。でもそれだけ。

あと、密室シーンも1つ1つきれいに終わらせてからメキシコシーンへ場面転換してましたがそれに意味がないんです。あれがダラダラしてしまう。
3Dメガネで発見したしんぼるでカウントダウンが始まるじゃないですか。あれもカウントダウン2秒1秒前ぐらいでメキシコシーンに移りゃぁいいんですよ。なぜいちいち「くさーい!」と落として(実際には落ちてませんけど)完結させてから転換するのか?
笑えていればそうは思わなかったと思いますけど。

しんぼるの感想を書いたいろいろなブログやレビューなど拝見していると、クライマックスシーンの解釈も様々ですね。
私は「神」だと解釈しましたが、最後の大きな1つのしんぼる。あれとが結びつかず。最後の大きな1つのしんぼるで考えるならば「人生」なのかな?と。それまでは無数の選択があったものの最後の大きな1つの自分でできない選択「死」が最後に待っている…という。でもスイッチを押してのバタフライ効果を考えるとやっぱり神なんでしょう。まあ、結局ようわかりません。

「大日本人」、「しんぼる」。
どちらもネタフリに時間を割いてるのはよくわかるんですが、飽きさせない工夫が一切ないですよ。松本さんがよく言う「今、フリやんけ!オチまで待てや!」という考え方は違う。例えネタフリだろうが飽きさせない画面作りは必要。松本さんはそれができていない。だから映画になると極端につまらない作品になる。
私は「大日本人」の世界観や、「しんぼる」の設定は嫌いじゃないです。でも見せ方が考慮されていない。客への親切、歩み寄り方はそこなんですよ!笑いをベタベタにすることが客への親切だと思っていたらとんでもないですよ、松本さん。



第32回目【覚えにくい言葉】2008年5月29日(木)
覚えにくい言葉や間違ったまま覚えている言葉。おそらく誰にでもあると思うんです。
特に「対」になっているような言葉は非常に覚えにくい!

まず、「エスカレーター」と「エレベーター」。これは誰もが一度は間違ったことあると思います。
建物の中にある移動手段で、且つ「エ」で始まって「レ」があって長音があって「ター」で終わる…。これはわざとやってると思います。わざと間違いやすく作ってる!

いまだにややこしいのは、「4日(よっか)」と「8日(ようか)」です。
これは会話中に急に言われると、どっちか迷います。
例えば、「8日はヒマ?」と言われると、必ずその場合は(自信がないので)「ようかの日曜日ね!」と、いちいち曜日を言うことにしてる。自分の中では曜日でしか判断してない。もしくは「はちにち」と言うようにしてる。
ヨッカ?ヨウカ?全然頭に入ってこない…。

むかしむかし、日本語がまだちゃんと出来上がっていない時代に、偉いおっさん達がたくさん集まって「日本語を作ろう会」みたいな会が開かれたと思うんです。
そこで、「よっか」と「ようか」を提案したおっさんはアホです。
8日は「ようか」ではなく「やうか」にすべきやん!どっちも「よ」から始まるからややこしいんねん。
…いや、というか「やうか」だったのかもしれないな。言いやすいように「ようか」に変化したのかも。でもアカン!そこは「やうか」で維持してて欲しかった!

そして、ここに「20日(はつか)」が入ってくるともうだめだ。
私の頭の中では「はつか」の「は」が「八」に変換されてしまい、「20日」と「8日」がわからなくなる。
だから、「20日」は「にじゅうにいち」と言うようにしてる。

子供の頃は、「ひじ」と「ひざ」も良くわからんかった。頭の中で「ひざ」の「ざ」を「座」に変換して覚えてた。
今でも自信のない言葉って、まだまだたくさんある。
「そで」と「すそ」も良くわからん。「袖」と「裾」。漢字で書かれたらもう完璧にわからん。
「句点」と「読点」。これも急に言われるとよくわからん。
「イースト」と「ウエスト」もよくわからん。語尾を「スト」で合わせちゃだめだ。
「レポーター」と「リポーター」がよくわからん。
「ノンフィクション」と「フィクション」もどっちがどっちがあんまり自信ない。
「竹内力」と「安岡力也」もようわからんかった。

「USJ」と「UFJ」もややこしい。
だから、ユニバーサルスタジオジャパンは「ユニバーサルスタジオジャパン」と言うことにしてる。「ユニバーサルスタジオジャパン」と言って、「それ銀行やん!」と嘲笑気味にツッコまれることは、まずないからだ。

「朝食」と「昼食」。
これも使いこなすのに時間かかかった。「チョウショク」「チュウショク」。もう音が似すぎ!チクショー!
自分なりの覚え方は、一日の真ん中ということで「中食」→「ちゅうしょく」→「昼食」と覚えている。
でもややこしいので、「おひるごはん」と言うようにしてる。

「萩」と「荻」。これはもう覚える気がない。
黒船の人はいまだに「ペリー」なのか「ペルー」なのか自信がない。
ゆでたまご先生は原作と作画が完全に分担されているが、原作は嶋田先生なのか?中井先生なのか?これもよく覚えていない。でもね、これはどっちでもいい。生活に支障がないからだ!

「日本語を作ろう会」のおっさん達はアホもいれば賢い人もいたと思う。
「縦」と「横」を考えた人は賢いと思う。「いとへん」と「きへん」に分けたのが素晴らしい!
いとへんだからどう、きへんだからどうという意味合い的なことはどうでもよくって、「たて」と「よこ」をそれぞれ同じ部首にしなかったのは頭の良い作り方だ。

逆に、「凸」と「凹」を考えた人はアホだ。
たぶんマジメに考えたんじゃなくボケだったんだと思う。(こんな笑かしにかかっている漢字は他にないだろう)
でも周囲のおっさん達にわりと感心されたもんだから、ボケだったとは言えずにそのまま審査に通った、という感じがする漢字だ。

「♂」と「♀」を考えた人もアホだ。
でも、これはわかりやすい。しかしながら、これは逆にもっとわかりにくくするべきだ。ストレートすぎて恥ずかしい。
(※ところが、よくよく調べると私が思っていたような意味じゃなかったようだ。は、恥ずかしいっ!)

「イモリ」と「ヤモリ」を考えた人は賢い。
似た言葉でも意味がはっきりしていれば、ちゃんと覚えることもできるのだ。

あと最後に。インターネットをやっていると掲示板やブログで次のページに進んだりするための「前へ」と「次へ」がよくわからん。どっちが過去のページでどっちが新しいページなのか?
この場合の「前へ」と「次へ」は、なんか正解が決まってないように思う。

よく考えると、うちの掲示板もそのようになっていたので最近わかりやすく変えてみた。
私も今回のコラムでだいぶアホだと思われてしまったので、サイトだけはなんとか賢い作り方をしていこう。



第31回目【ギャグ漫画】2008年1月23日(水)
「お笑い」以外にも人を笑わせることが目的であるものに「ギャグ漫画」があります。
お笑いとは違って表現方法が二次元のため、いろいろ制限されることもあると思いますし、逆に二次元だからこそできることもあります。

私がギャグ漫画を読む際、必ず着目するところがあります。
ギャグの発想、設定、絵、キャラ、オチ、それらは当然なのですが、それ以外に、「リアクション(ツッコミ)」が新しいものであるかどうかに着目します。

私の好きなうすた京介作品を例に挙げると、「ガビーン!」のようなものです。ある種、これは一つの発明だとさえ私は思っています。
最近のギャグ漫画のリアクションは、どうもこの「ガビーン!」の亜流のようなものばかりになっており、例えギャグそのものがおもしろくても、どこか残念な気持ちになります。

20年ぐらい前のギャグ漫画のリアクションといえば、「ズッコケ」が主流でした(逆さになった足だけが描かれてる)。さすがに、このリアクションは今現在のギャグ漫画にはほとんど見られません。
そのリアクションに台詞を付け足したものとして、藤子不二夫作品の「ズコー(忍者ハットリくん)」「ヘコー(パーマン)」などがあります。当時、子供たち(私らの世代ですが)の間では流行りました。おもしろいリアクションだと思います。

さらには、「目玉が飛び出るリアクション」もその当時は多かったですね。Dr.スランプなんかそうだったと思います。当時はそれが新しかったと思います。

あとは「ろくでなしBLUES」です。(文字だけで説明するのは難しいのですが)手を顔の前に出しそして舌を出すリアクションも見られました。特にこれは、すごい斬新で衝撃さえ受けました。そしてしっかり笑えました。
ろくでなしBLUESでは他のリアクションとして、「な、なにー!?」と猪木顔になるリアクションもありました。やっぱりおもしろい。

そして、「ちびまる子ちゃん」でのリアクションは、顔に縦線が入るリアクションというのがありました。これまた当時、斬新で笑えるリアクションでした。
台詞ではなく、絵で見せるリアクションが漫画ならではなので素敵です。

また最近、アニメで復活したヤッターマンでおなじみのタイムボカンシリーズに当時「逆転イッパツマン」という作品があったのですが、そのリアクションに「シビビンシビビンシビビンビン」といったものがあり、やはり流行りました。(若い方々はご存じないでしょうが…)

上記に挙げたこれら全てのリアクションは大きな発明だと思っています。

しかし、最近のギャグ漫画のリアクションは、うすた京介さんの「ガビーン!」の二番煎じ的なものが多いようです。正直このような作品を見ると、「この新人、アホちゃうか?」と思います。プロがプロの真似してどうすんねん、と。
新人ギャグ漫画家さんも毎年たくさんデビューするのでしょうが、ギャグの発想やおもしろさ、設定、キャラなどはもちろん、私は「リアクション」。そこに大きく着目します。
これからギャグ漫画家として成功するならば、新しいリアクションの発明。これが必要不可欠な要素とさえ思っています。

ということで、他にも何かおもしろいリアクションなどありましたら教えて欲しいです。



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