何を思ったか、急にコラムというものを書きたくなりました。ところでコラムって何?
正しい意味を知っておかなくてはいけないと思い、辞書で「コラム」を調べると、
『新聞・雑誌などで、短い評論などを書く欄。また、その記事。』とありましたので、
じょるのなりに、新聞・雑誌などで、短い評論などを書く欄。また、その記事を書いてみたいと思います。


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第10回目【髪】2003年5月26日(月)
本日は「髪」についてなんですけど、じょるのは美容院や理髪店には全く行かないんです。
そういったお店に行かないのは、やっぱり、どうしてもあの世間話が苦手だからです。

「お仕事、何してるんですか?」、「これから、お出掛けですか?」とか…。
「自分、ホンマに興味持って聞いてるの?」と、冷めてしまう。機械的というか義務的な感じが伝わってきて…。
ただでさえ、そういう(笑いがベースになっていない)ありきたりの会話がキライな上に、プライベートには一切触れて欲しくない私なので、どれだけカットの技術があっても、「世間話をされるから」という理由だけで、美容室には行かないです。
髪をカットしている時間の間を埋めようとしてるんでしょうけれど、そんなお気遣いは要りません。始終、黙っていてくれていいんです。
と言いつつ、たまに会話をしてしまうと、大げさに驚かれたり、なにも面白くないところで愛想笑いされたり…。
いやいや、なに?それ、サービスなの?
それに、どのお客に対しても、「同じような会話してんねやろなぁ?」と思うとね…。
ほんで鏡ごしに会話するってのが、なんか滑稽に思える…。

ただ、美容学校に通っていた知り合いに聞くと、美容学校でも「お客さんと会話をするための授業」というのがあるらしいので、そういう事を聞くと、あぁ、努力しているんだなぁと感じるのと同時に、「ほな、やっぱり、義務的なものなんや!」とも思ってしまう。

そして、技術的な面から言うと、自分の意図する通りの髪型になった試しが無いからという理由もあります。
カット全部終わってから、「こういった感じで、よろしかったでしょうか?」と過去形で聞かれてもね…。終わってからではどうにもならないやんか…。こぼれた牛乳は元には戻らんのや。
だからと言って芸能人の写真を持って行ったり、あーして、こーしてと、いろいろ注文をするのも恥ずかしいでしょ?
「てめーなんか、どんな髪型してもいっしょだよ!」って思われそうじゃないですか。実際、同じく理髪店で働いている知り合いの子に聞くと、やっぱ、多かれ少なかれ、そう思う事はあるらしいです。「お前ごときがどんな髪型しても変わんねーよ!」って。

それなら、いっその事、自分で切ればいいじゃないかい!と思い、いつも髪の毛は自分で切ります。
もう何年もの間、自分で切っているので、それなりにうまく切れているとは思いますよ。
そして、髪を切るのは月曜日の晩に切るんです。そうじゃないと、月曜日出勤すると、散髪した人がたくさん現れるでしょ。そういった人達とかぶるのが嫌なんですよね(髪型がかぶるんじゃなくて、休みの日に散髪屋さんに行ってるっていう行動が)。だから、髪を切る日として、もっともありえない月曜日に髪を切っています。

そういう私の髪は、昔、真っ赤にしたり、金髪にしたりしてましたが、27歳にもなると少し落ち着かないといけないだろうという事で(茶髪が流行りすぎてるという事もありますが)、今の髪の色は真っ黒です。そして、スタイルとしては前下がりボブっぽい感じですね。自分で切っているので、あくまでも「〜っぽい感じ」としておきます。



第9回目【歌詞】2003年5月15日(木)
お笑いも大好きですけど音楽も好き。でも邦楽ばっかり。洋楽はまず聴かないです。
そして、今日のテーマの「歌詞」。

「歌詞」って、結構、ナメられていると思うんですよ。
「作曲」っていう作業は専門的な知識やセンスを必要とすると思うんですけど、「作詞」って誰でもできそうってイメージありますよね。なんか簡単に手を出せそうなイメージ。たくさんいるアーティストでも、作曲できないけど作詞だけするって人も多いですし。ちょっとした芸人やアイドルが作詞だけしたりする。でも「作詞」をするのも絶対に難しい!

売れている曲を聴いていても、素人ながら、「しょーもない歌詞やなぁ」、「平凡な歌詞やなぁ」って思う事はあります。
「壊れるほど抱きしめたい」、「君のところへ飛んで行くよ」、「この手を離さずに」、「あなたを感じたい」…。挙げれば、キリないですけど。そういった表現も悪くはないと思うんですけど、サビとか大事な部分でそんな平凡な表現を使われると、せっかくのメロディーがもったいないって思います。

私はMr.Childrenや宇多田ヒカルちゃんが好きなんですけど(このへんは、とてもベタです)、何が好きって、メロディーや歌唱力はもちろんの事、やっぱり「歌詞」かもしれません。歌詞全体のテーマに共感できるってのは、もちろんありますけど、それ以上に、この2組の歌詞には、他のアーティストには絶対出てこないだろうって歌詞がいっぱい出てくる。それがなんか好きなんです。
宇多田ヒカルちゃんで言うと、「枕元のPHS」、「不景気で困ります」、「ドアに注意」、「秋のドラマ再放送」、「電話代かさんで迷惑してるんだ」、「パンチ」。
Mr.Childrenに至っては、「参考書」、「水平チョップ」、「社内で一人インスタントフード」、「前略宮沢賢治様」、「中田のインタビュー」、「野獣と化してAH」、「ウルトラマン、仮面ライダー、ドラえもん」、「マスコミがこわい」、「ブランド志向、学歴社会」、「下痢が続いているので病気かもしれません」…etc.

こういった言葉を使って自分の伝えたい世界観を表現できるって素晴らしいと思うんですよね〜。
やっぱり、歌に感動する時、人の気持ちを動かすのは「歌詞」だと思うんです。
だから、歌番組などで、いろいろな歌を聴いていても、歌詞が平凡だったら、もったいない…って感じます。
それだったら極端な話、歌詞を全部「ララララ…」にして歌ってもいっしょやんって…。私が洋楽をほとんど聞かないのはそういう事なんです(ただ、英語がわからんだけですけど…)。
浜崎あゆみちゃんが歌詞の中に、絶対、英語を使わないっていうのを聞いた事があるんですけど、めっちゃ共感しますね。
やっぱり英語だと伝えたい内容が軽くなるっていうか、格好を飾ってるだけのような気がするんですね。

ありきたりでない言葉で、自分の言いたい事を伝えられるアーティストってのが好きです。もちろん、「曲(メロディー)」ありきでの「歌詞」だとは思いますけどね。他にもそういったアーティストがいれば知りたいですね。



第8回目【雨】2003年5月8日(木)
本日のテーマは「雨」。雨って好きですか?私はあまり好きではありません。

今日、関西地方では、とてつもない雨でしたよ。やっぱり朝から雨が降ってたら、それだけでテンションが下がります。「もうぉっーーー!」って叫んで怒りながら起きますもん。さらに、髪の毛も湿気で、うまくまとまらないし…。洗濯物も干せないし…。客商売の場合、お客さんも全然来ないし…。

なんと言っても、「傘」がおかしい!あんなん、絶対濡れるやん…。裾びっしゃびっしゃやん!
今の御時世、ハイテクだの、ITだの…、いろいろ言ってますけど、「傘」に関しては、どうしてあんなに原始的なんでしょうか?雨が降ってるから雨に当たらないように傘で覆う…。めちゃ原始的すぎるわ…。会社着いたら、みんなズボンの裾ビチャビチャ。
傘ってジャマ以外のなにもんでもないです。人通りの多い所では、すれ違う人と傘がぶつからないように、傘をちょっと高く掲げてすれ違ったり…、そんな気遣い嫌や…。どうしても雨キライ。

それに、ちょっと、言い方とかも変えればいいのにね。晴れてる時は「晴れてる」。
曇っている時は「曇ってる」。じゃあ、雨の時も「雨ってる」っていう言い方にしたら、ええのになぁ。「パニクってる」「トラブってる」みたいで楽しいやん。ほんなら、ちょっとは雨も好きになれるかもしれない(いや、無いな…)。
お天気マークも、晴れは「太陽」。曇りは「くも」。雨は「傘」。か、傘なん?おかしい…。雪の「雪だるま」は雪で作られたものやから良しとできますが、雨の「傘」はなんか違う!それやったら、晴れは「日傘」とか「グラサン」になるはず。雪は「スコップ」とか「スキー板」になるはず!(いや、ならへんな…)

そんな、大キライな雨にも良いところもあるとも思います。
野球が雨天中止になって、観たい番組の時間がズレないってのはいいですね!(それだけかえ…)

ま、本日のコラムをまとめますとですね。
今日、関西地方ではすごい雨だったので、雨嫌いの私は会社をズル休みしたと言う事です。



第7回目【電車】2003年5月4日(日)
今日は「電車」についてです。通学・通勤に電車を利用される方はたくさんおられると思います。
その電車なんですが、私の頭の中では「電車=チカン」なんですよね…。(「カメラ=盗撮」の発想といっしょですね。)
しかし最近では、朝と夜のラッシュ時に「女性専用車両」が設けられています。もちろん、チカン防止の為の運用です。
しかし、そこでじょるのは思います。「それってチカン防止につながってないわぁ」って。

「女性専用」などといったルールを作ってしまうと、必ず「女装」とかをして、その車両に乗り込もうとかする男が出てくるはずです。まぁ、そういったのは明らかに違反で目立つ行動ですけど。
私が気になったのは、”女性専用車両”が時間で定められているという点に問題があると思います。例えば、朝のラッシュ時間が終わる頃、構内アナウンスで「只今の時間より女性専用車両を解除します」といった内容が流れる。その瞬間、女性専用で無くなるわけですが、しかしその時点ではまだたくさん女性が乗っている。そのタイミングで、その車両に乗り込めば、周りはほぼ女性なわけです。チカンする人間にとって、絶好の環境ではないですか!やっぱりやるなら1日中、女性専用車両として徹底した運営しないと、結局は、それを利用して犯罪を犯すバカが出てきてしまうと思うんです。(…ということをやろうと思っているわけじゃありませんよ)

ただ、男も大変なんですけどね…。
どうしても満員電車に乗らないといけない状況では、そう思われないように必要以上に気を使ったりして、両手の位置や格好をめちゃめちゃ気にします。
でも、そんな気使いに比べれば、当然女性の方が大変です。私の知り合いの女の子にもいましたよ。高校時代、電車通学でチカンの経験があって、いまだに電車に乗る事が怖いっていう子が。

ですから、私はいつも、そういった気を使うのがイヤで、通勤はガラガラの各駅電車に乗ります。どんだけ時間がかかっても各駅に乗ります。通勤も各駅でゆっくり行きます。どんだけ遅刻しそうでも、各駅でゆっくり通勤します。人生あせってもしゃーないですし。急いだりするのがあんまり好きじゃないってのもあるんですけど…。ですから駆け込み乗車も一切やらないです。急いだあげく、ドアに挟まったりしたら恥ずかしいじゃないですか?そこまでして電車に乗る人の気が知れないです。

ま、チカンの話から少し脱線してしまいましたが、女性は、これからの季節、是非気を付けて欲しいと思います。逆に、私も気をつけますし。



第6回目【才能】2003年4月29日(火)
今日のテーマは「才能」です。皆さんは、人には負けない才能をお持ちですか?それとも「神様は不公平だぁーー!」とコンプレックスを持っている方でしょうか?

世の中、様々な「才能」があります。
「人を笑わす」ってのも才能ですし、「美人」ってのも才能ですし、「旅行に行く時は必ず晴れる」ってのも才能だと思うんですね。しかし、人によっては「自分は何の才能も無い…」と嘆く人もおられると思います。
でもそれは違うよ!って、私は言いたいのです。

どんな人でも才能は持っていると思うんです。
というのも、私が考える「才能」ってのは、才能ポイントをどう振り分けられているかだと思ってるんですね。
人間は生まれた時に才能ポイントを100ポイント与えられて生まれてくるんです(仮に100とします)。そして、その100のポイントをいろいろな分野に振り分けて行くと考えるとどうでしょう?

メジャーリーグで活躍している松井秀喜選手は、その100ポイントの大部分を見事に「野球」という分野に振り分けているわけです(そのかわり「美肌」という分野へのポイント割り振りは少ない)。
そして、芸人さんなどは「人を笑わせる」という分野にその才能ポイントを大きく振り分けているわけです。
逆に、面白くない人は「人を笑わす事ができない」という分野に才能ポイントを使ってしまっているんです。何を言ってもウケない。それも(マイナス方向に働く)才能なんです。

よって、何が言いたいかと言いますと、自分に才能が無いと感じる人は、結局はどこか地味な分野やポイントを与える事によってマイナスに働く分野に100ポイント使ってしまってるんだと思います。
「CDケースのビニールをきれいにはがし取るのが上手い」とか「パーマがかかりやすい髪質をしている」などという分野や、「人にだまされやすい」とか「よくウンコを踏む」などというマイナス要素の分野に…。

しかし、そのプラス・マイナスを判定するのは人間ですからね。
松井選手なんかは、単純に言えば、「球を棒で打つ」という才能にたくさんのポイントを持って生まれただけなんです。それが「野球」という、どっかの誰かが考え出したスポーツが存在する事で、松井選手はその才能ポイントが意味を持ち、しかも世界中で「野球」が認められている。だから、その才能がプラスとして発揮できる。
また、「氷を磨いて石を止めたい場所で止められる」という地味な才能も、それだけでは、なぁ〜んの意味も無い才能でしょう。しかし、最近では、どっかの誰かが考え出したカーリングというスポーツでその才能を発揮する事ができて、オリンピックの種目にもなる。
「人を笑わす」才能も、「お笑い」という職業が認められているからこそ成立するわけです。

そう考えると、才能の無い人なんかいない。神様は平等なんでしょう。みんなに100ポイント与えてるわけですから。結局、その才能を認める・認めないは、私達人間が勝手に決めた事で、不公平なのは人間なんでしょう。

才能の有無だけじゃなく、それを認めるルールや世界があって初めて才能が生きてくるわけです。

極端な話。「よくウンコを踏む」という才能が世界中で認知されたら、人生180度好転する人もきっと出てくるハズです。



第5回目【 顔 】2003年4月24日(木)
今回のテーマは「顔」です。いきなりですが、いつも私は「顔って不思議やのぉ〜」って思ってるんです。
だって、みんなそれぞれ違う顔してる。目が2つあって、顔の中心に鼻があって…といったルールは誰もがいっしょなのに。まぁ見事に様々な異なった顔ができるもんやなぁと思いませんか?それも何億通りも!
私、絵を描くのが好きなんですけれど、「何億通りの顔を描け」と言われても、絶対、無理です…。そこまで描き分けられない。

それに、なぜ顔を見ただけで「女」と「男」の判断がつくんでしょうか?
この疑問に答えられる人がおられるならぜひ聞いてみたいです。絶対、理屈で説明できない(パンパンせなあかん)。
ちなみにパーマン1号と3号の顔の違いは3号の方が長いマツゲがあるってぐらいで、それだけで男女の違いが出る事に驚いた経験はありませんか?(いや、そんな経験ないかな…)

そして、仲の良い友達の顔をじーっと見ていると、ついには「誰やったけ?こいつ??」ってなりますね。あれってすごく気持ち悪い。
顔に限らず、ひらがなとかでも「す」ってノートに何十個もずーっと書いて行くと、ついには「なんやこの形?」ってなります。「お前っ、ホンマに”す”かっ?」って。あの感じです

顔には性格が現れたりもするのでしょうか?皆さんの知り合いの中に、「似た顔」、「同類の顔」という人がいると思います。でも、顔が似てるだけじゃなくて、やっぱり、口調とかちょっとした性格が似ている時もあったりしませんか?そうなると、「顔相」というのも、ちょっとは信頼できるのかもしれませんね。

顔に関する1つおもしろい話。
実際、人間の顔って左右対称じゃないですよね。
自分で自分の顔が左右対称同じかどうかを鏡で見て判断するのは難しいですけど、鏡に映った友達の顔を見て、えらい人相変わるなぁ〜と思われた経験はあるかと思います。
あれって、すごい事に、顔が左右対称じゃなければじゃないほど、裏の人格があるって事らしいです。鏡に映っても、いつもとほとんどかわらない人相なら裏表のない人格という事らしいです。鏡には人の二面性の激しさが現れるらしいですよ。
ちなみに鏡に映ったじょるのの顔はかなり人相変わります。簡単に言うと、左下がりな顔してます(簡単に言うとですよ)顔の見えないネットの世界で語るお話でもないですけどね。

てなわけで、今回はとても共感できない話になってしまい、しかめっ面になっている方も多いかもしれませんね…。



第4回目【新学期】2003年4月19日(土)
本日のテーマは「新学期」です。入学シーズンも終えて、10日ぐらい経ったんでしょうか。クラス替えなどで新しい人達と出会い1年間を共に過ごして行くわけですが、そこでいろいろな悩みが生まれてしまう。

私も学生時代、この時期がめちゃめちゃイヤでした。仲の良かった友達と、再び同じクラスになれれば、それだけで大きく悩むこともなく、ちょっと余裕を持って1年間過ごせると思うんです。「友達を作らなあかん!」というプレッシャーがありませんから。
でも当然そうじゃない人々もたくさんいる。やはり周囲になじめずに、なんか1人ぼっちのような感覚で通学している人もいると思うんですね。

私は人見知りが激しくてクラス替えが嫌いでした。しかし、私の場合はクラスが替わっても「おもしろいんやってなぁ?噂聞いてるわ。」と言って、向こうから喋りかけてくるパターンが多かった。学生時代そんな目立つタイプじゃなかったと思うんですけどねぇ。クチコミで広がっていたようです。
初対面の人に対しては自分からしゃべりかけることが出来ない私にとって、これは大変助かりましたし、ありがたかった。「笑い」はやはり偉大です。

そんな私の話はともかく、クラス替えの意図って「いろいろな人間と出会い共に過ごそう」っていう意味や「気の合わない人間とも上手に付き合って行く社会勉強の一環」という意味を持ってるんでしょうけど、それがいい方向に働くのなら問題ないですけど、実際は悪い方向へ働く場合もある。
私達の時代は「イジメ」ってのはほとんど無かったですけど、今どうなんでしょう?クラス替えによって、今まで全然イジメの対象にならなかった子がイジめられたりしてしまう事もある。一時期ニュースとかでもありましたよね。それにすごい憤りを感じる。「気の合わん人間と付き合って行かなあかん事に、ホンマに意味あるんか?」って。

でも本当の「出会い」って、案外「こんなヤツとは絶対に仲良くならへんわ!気合わへんわ!」っていうヤツと、いつの間にか親友になってたりするもんですからね。今は周りが全員、他人のように見えても、いつかきっと今のクラスと別れるのが辛くイヤでたまらなくなる時期が絶対来ると思います。別に、自分からしゃべりかけたりなど、そんな努力はいらないと思いますよ。そんな気持ちの持ち方一つで絶対変わると思います。

ってなわけで、「五月病」という言葉があるように、今が一番しんどい時期なのかも知れませんが、現在、新しい環境になじめないという学生さんや新入社員の方々も少し余裕を持って頑張って欲しいと思います。



第3回目【携帯電話】2003年4月16日(水)
本日のテーマは「携帯電話」です。近年どんどん進化していくケータイ。もう肌身離さず持ち歩くのが常識のようです。もし通学や通勤途中に「家にケータイ忘れてきてしまったっ!」ってなると、もう、その日1日不安で、どうしていいか分からなくなっちゃうという人もおられるのでは?

でもそれは世間一般的な話で、私個人としてはそんなに必需品扱いされるモノでは無いと思っています。
でも若い子はやっぱり言いますよね。「ケータイ無くなったら困る!」「誰とも連絡取れなくなる!」「緊急の時困る!って。
というか実際、ケータイ無くなっても自分は困らないと思いますよ。困るのは相手の人ですよね。「全然、連絡取れない!」とイライラするのは相手の人ですから。

ケータイなんか解約してもいいんですけどね。でも、そうなると、「えっ!ケータイ持ってないの?」って、絶対驚かれる事になるんでしょうね。となると今度はいちいち理由を説明するのが邪魔臭くなりそうです。逆に言ってやりたいですけどね、「えっ!ケータイ持ってんの?なんで?なんで?」って。

そして「写メール」や「iショット」。今や、ほとんどのケータイがカメラ付ですけど(じょるののケータイには付いてないですけど)、便利は便利でしょうけど、いろいろ問題も多いですよね。だって、まずおかしいのが、マナーモードにしても必ずシャッター音が鳴るように設計されているって事。つー事はですよ、「盗撮に使用される可能性」を考えてるからって事でしょ?それでいかなる時もシャッター音が鳴るようになってる。
けど、それってあんまり意味ないですよね。だって「カシャッ!」って鳴るんなら「誰かが撮影してる!」って気づかれるでしょうけど、音の種類によっては、「ピコーン」とか「チャラリーン」って鳴る。そんな音…、カメラって気付かへんわ…。
ま、実際は相手に気付かせる為じゃなくて、自分に聞こえる事によって多少の防止にはなってるとは思いますけど。

ま、「カメラ=盗撮」という発想をする時点で、私がちょっとおかしいんでしょうけど、でもそう考えてしまう…。
だから未だにじょるのはカメラ付のケータイに機種変更しない。だってカメラ付ケータイ持ってるだけで、「盗撮するためちゃうん?」と思われそうだからです。
少なくとも私はカメラ付きに機種変更する人たちを見て「あぁみんな盗撮するんだなぁ」と思ってます。

カメラが欲しくなった時はケータイじゃなくて、ちゃんとしたカメラを買おうと思います(でっかい望遠レンズの付いたヤツ)。



第2回目【本】2003年4月13日(日)
今日のテーマは「本」です。
子供の頃は全然読まなかった「字ばっかりの本」。でも大人になった今は、本を読むのが好きになりました。
一時期は推理小説ばっかり読んでました。やっぱり最後に裏切られるあの感じが好き。「犯人、こ、こいつやったんかぁぁ!」ってあの感じ。
推理小説を読む時は絶対犯人予想とかしながら読む人がいると思うんですけど、私はそれをやらずに読み進めて行きます。
だってホンマに犯人当たってしまうと最後の裏切りが感じられないですもん。「してやられたぁー!」って思いたいんです。
そのため、作家さんの思うツボな素直な読者になります。

現在よく読むのは角川ホラー文庫。あの真っ黒なカバーの本。「リング」や「らせん」も映画より小説が先でした。
だから映画で観た時はめちゃ怖かった。だって貞子がテレビから出てくるシーンなんて原作には無いんですから。「いや、ちょっと待って!そんな話、ワシ聞いてないっー!」って感じで。あのシーンにはド肝抜かれました…。そんな思いはしたくなかったので「ISOLA」は小説だけにしておきました。
角川ホラー文庫シリーズで好きな作家さんは吉村達也さんと新津きよみさん。普通はここで何故好きなのか語るもんですが今回は別にまだ書きたい事があるんで、また機会のある時で。

その書きたい事なんですけど、私の友達にも大の本好きなやつがいて、そいつは本屋の息子やったんです。だからというわけか、ちっちゃい頃から小説(字ばっかりの本)をたくさん読んでいたらしいです。
漫画はほとんど読んでなかったらしく、だから残念な事に同世代でありながらキン肉マン(字ばっかりじゃない本)の話が全くできなかった。「おでこに”肉”って書いてる人やろ?」ってぐらいの知識しか持ってなかった。
でもじょるのが本を読むきかっけになったのは彼にたくさん小説を貸してもらっていたからです。栗本薫さんとか山田詠美さんとか、あとたくさん…。

しかもよくできた話、本屋の息子で小説ばかり読んでいた彼は、今小説家を目指して新人賞とかに応募しているんです。でもすごい事に必ず一次選考は突破したり、佳作の一歩手前ぐらいまでに選考されていたりするんです。
最近は年賀状ぐらいであまり連絡取ってないですけど、応募する前の小説をちょこちょこ送ってきてくれるんです。「今回の小説どう?」ってなノリで。
でも私は感想を伝えないんです。
だって、お笑いならともかく小説の世界は全くわからない…。素人にうるさい感想言われるほどハラ立つ事ってないでしょうからね。プロの小説家になる前に変な感想や意見聞いて変な感じにならないよう自由に書いて欲しいし。

ちなみに、そんな彼の大学の卒論は「お笑いといじめの関係について」でした。読ませてもらいましたけど、やっぱ難しい文章書きよりますわ。2〜3行読んでイヤんなった。お笑いに関係していたので私の感想を聞きたかったみたいでしたけど。しかし、これまた感想は言いませんでした(私はあんまり役に立つ友達じゃないですね…。)

というわけで「本」。今、読みかけ途中の小説があるので今晩からでも読んで行こうと思います。ではでは。



第1回目【休日】2003年4月10日(木)
本日から始まる新コーナーです。お笑い以外のテーマで、私じょるのが思う事をコラムとして書いて行こうと思っています。私的な内容ばかりになるかと思いますので、皆さんに興味を持ってもらえないかもしれませんが自己満足でやっていきます。

第1回目のテーマは「休日」です。皆さん、いつも休日はどのようにお過ごしでしょうか?もうすぐゴールデンウィークですけど、予定とか立てられましたか?私は、なぁ〜んも考えてないです。でもそれはゴールデンウィークに限らず、普段の休みでも同じです。
連休明けなど、よく学校や職場で「休み何してたの?」といった会話があるじゃないですか。あれが大キライなんです。基本、プライベートには一切触れて欲しくないんです(ミステリアスなイメージを大切にしたいから)。
それに大体「家におった」ってのが答えになってしまいますから。すると、「寂しい奴やな」みたいに言われるんですよね。いやいや、そうじゃなくって!「休日とは家に居る為のもの」だと思ってますから、友達と遊びに行くなら週末の夜とかですよね。ほんで朝方帰って、やっぱり休日には家に居る。このスタイルが好き。

ただそうなると、「普段休みの日は何をしているの?」って聞かれます。返事にすごく困るんです。テレビもほとんど観ないですし、ビデオ借りて映画を観たりもしない。ゲームもしない。昔は1日中絵を描いたりしてた時もありましたけど…。今、何やってるんでしょうね??自分でもよくわからないです。
ただ、ずっと家に居るのは居てます。しかし、そう答えると何かイメージ悪く持たれる。
「アウトドア>インドア」っていうイメージありませんか?「アウトドア」ってすごく良いイメージありますよね?健康的で明るいイメージがありますよね?それに引き換え「インドア」は「ひきこもり」という言葉とかぶってイメージが悪い…。そういった考え方ってどっかにあると思うんです。それがキライ…。まあ、分からなくもないですが、言葉のイメージだけで簡単に判断してしまう人々がキライ…。
私は完全にインドア派ですが、別に家に引きこもって爆弾作ったりしてるわけじゃないんで、ご心配なく。

そう言ってる間にもう週末。明後日の土曜日はお休み。何しよう?髪でも切ろうかなぁ。えぇ、もちろん家で自分で切るんですけどね。そうそう!自分で髪切るのめちゃめちゃうまいんですよ!でもその話はまたいつか機会のある時で。



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